イベント報告
第12回Lafuma青梅高水山トレイルラン
2010年4月4日(日)
12th Lafuma Ome Takamizusan Trail Run
■第11回Lafuma青梅高水山トレイルラン参戦記 中原恭恵

南国サイパンのトレイルデビューから日本に帰ってきて間もなく。トレイルランのすばらしさに触れ、余韻にひたっていた矢先、 KFCの地元のトレイルランレースのお誘いをいただいた。迷うことなく行かせてくださいというお返事をした。

国内戦デビューは30km

15キロと30キロの距離 があるが、どちらにするか。あんまり深く考える事もなく、山だから走っていたらいつの間にか30キロも走っていたという感じにな るのではないかと思い、30キロを選んだ。だが実際果たしてどんな感じなのだろう。KFCの方が30キロは結構キツいとおっしゃって いた。距離への想像がつかなかったが、でも氣持ちだけは常にワクワク感があった。2月に初フルマラソンを完走したことで、少し ばかり距離への不安感はなくなっていた。

初めての青梅

レース当日。朝起きると外は春日和のすがすがしい天気。朝日を体いっぱいに浴び、走るには最適だと思って、電車に乗りこみ青梅 に向かった。青梅というところ自体、私は初めて行く場所だった。東京の西側は、行っても西立川くらいまでだったので、青梅があんな にも田舎だとは想像もしていなかった。青梅線に入ってから、周りの景色ががらりと変化して行く。東京にもこんなに自然が残っている のだと驚かせられるほど、緑に囲まれていく。そうして青梅駅に降り立った。

なんだかおかしい。涼しい・・・。空もそれほど水色では ない。怪しいなと思いながら、青梅駅から歩いて会場へ向かった。さすが山のレース、会場に行くまでにかなり上る。呼吸が少し苦しく なってくる。こんな急勾配な上りがあって走れるのだろうかと少し不安になった。

だんだんとにぎやかな声が聞こえてきて、会場に無事ついた。そして、なんだかおかしいという感覚はやっぱり当たっていた。寒い。 山の中に来て、寒さは本格的だった。青梅だけ違う国なのではないかと感じさせるくらい、寒かった。

青梅は寒い!

受付には長蛇の列ができていた。とりあえず並んで、受付を済まし、参加賞をいただいた。参加賞は、ふくらはぎサポーターで、 デザインもなかなかシンプルでかっこ良かった。

偶然、サイパンのときに知り合った仲間が私を見つけてくださった。トレイルランを何も分かっていない私。普段の練習で使うラン シューズで走ろうとしている私にまずビックリされた。さらに青梅がこんなに寒いと思わず、普段の練習で着るTシャツとスパッツで走ろ うとしていた私にまたビックリされて、山の上はもっと寒いよと脅された。ウェアも初心者でわからないから、とりあえずアドバイスを 素直に聞き入れ、ウィンドブレーカーを1枚羽織って走ることにした。

走る前に、一応トイレに行ってこようと思ったら、案の定長蛇の列。待つよりは、会場に来るときに通ったトイレまで走って下りる方が 早い!と想い、ウォーミングアップだと思って疾走した。予想通り、下のトイレはガラガラだった。ラッキーと思ってトイレを済まし、 また走って会場まで戻った。そうしたら結構汗をかいていた。本当にウィンドブレーカーがいるのかと思ってしまったが止まるとやはり寒い。 これから30キロも走るのに、よくアップしたねぇと笑われてしまった。

いざ、スタート

そうしてワイワイ話をしながら仲間たちとスタート地点へ向かった。前から行った方がいいよと言われ、3列目くらいに並んだ。 こんなに寒いのに、最前列の人はランシャツランパン姿で驚かされたと同時に、どんなスピードで走ってしまうんだろう、速いんだろうなと 思った。

は!と思ったら、スタートだった。とりあえず流れに乗ってとばして走った。始めは道がきれいなので走りやすい。道沿いに応援の観客が 並び、大会が始まったなぁとわくわくしながら走り始めた。当然だがずっと上りだ。だんだんと呼吸が苦しくなってくる。そしてストライドも 小さくなってくる。周りの選手からも、ハーハーという息づかいが聞こえてきた。こうなってからは、自分のリズムで行こうと腕を振って、苦 しすぎず楽すぎずというペースを作った。周りの選手も同じくらいのスピードの選手となり、抜きつ抜かれつということがなくなり、いよいよ 山の中に入っていくところに来た。

トレランって、修行??

サイパンのときには、ジャングルのような気分だったが、青梅は山の樹種も樹高も全く違い、1週間前までは雪が積もっていたらしく、 その写真を事前に見せていただいていたこともあって、サイパンのときとは違った印象だった。寒さがさらにスパイスとなり、修行しに来て 迷い込んでいる感覚だった。樹種が違うから地面もやはり少し違う。まだ落葉が積もっているところもたくさんあり、サイパンのときよりは 地面の凸凹がわかりにくい。捻挫しないようにと気をつけながら、でも葉の上を踏む感触は氣持ち良かった。

山の中に入ってからは、上り下りの連続になった。つらつらと続く上りは、ずっと走っていることができず、みんな歩いていた。前の人に 続いて歩いて上っていく。ロッククライミングかというような手をついて上るところもあった。だんだん冒険家のような気分になってきた。 木の根が張り出し、その力強さに生命力を感じながら歩いた。

コアラのマーチ??

私の天敵は下りだった。そもそも山の中を走って下るなどという練習をしていないから、バランスを取るのが難しい。おまけに普通の ランシューズなので、時折ズルっと足を取られてしまいヒヤっとする。そして、恐れていたことが起きた。ズルっと滑り、そのまま2mほど 滑り落ちてしまった。幸い大木があったので、しがみついて止まったが、コアラのマーチ状態になり、動けなくなってしまった。

後ろから 走ってきたおじさんに「大丈夫ですか・・・?」と声をかけられ、もう恥ずかしいなどと考える余裕もなく、大丈夫じゃないですと言って、 引き上げてもらった。山を走る人はやはりみんな親切だと心が温かくなり、ありがとうございますと感謝した。それから、はっと我に戻り、 スパッツが破れていないことを確認して走り始めた。

1度大ごけすると、慎重になってしまい、後ろから選手がくるたびに「お先にどうぞ」 と道を譲った。みんなすごいスピードで駆け下りていく。あっという間に姿が見えなくなる。関心して追っていると自分もつられて、あれだ けこけたからこれ以上怖いものはない!と怖いという想いはなぜか吹っ飛んでしまった。

ひたすら高水山へ

15キロほど走って給水所があった。寒いせいか、走るのに集中しているせいか、のどが乾かない。持ってきた水も飲むこともなく、とにかく ひたすら走った。途中で1度山の中から出て、住宅地のあいだを走っていると、おばちゃんが「お姉ちゃんがんばるねぇ」と、あめ玉を1個く れた。なぜかそのあめ玉がすごく嬉しかった。大切にポッケにしまった。

また山の中に入り、高水山を目指す。お守りがもらえるんだと思い出し、何色だろうなんて考えているとウキウキしてきた。激しくなる 呼吸が氣持ち良かった。

まもなく、ドンドコドンドコという太鼓の音が地に響いてきた。あと少しでテッペンだ!と思うと、足が元気になってきた。つらつらと 続く階段を1段1段かけ上った。

常福院倒着

テッペンはにぎやかだった。鐘を鳴らし、ここまで無事上らせてくれてありがとうございますと感謝し、手を合わせた。お守りは好きな 青色だった。首からかけてもらい、嬉しくなった。お水を少し口に含み、一息ついて階段を下り始めた。

お守りをかけてもらってから、なぜかずっと大丈夫だという安心感に包まれながら走っていた。青梅の自然の素晴らしさや生命力を全身で 受け止めながら、山を走る喜びを全身で感じながら走っていた。

しかし、今何キロくらい走ったのだろうと距離が全くわからない。さすがに少しずつ足が張り始めた。上りよりも、下りでの足への衝撃 に耐えるのが辛くなってきた。それでも、開けたときに上を見ると自然風景が広がっているのが氣持ち良くて、疲れた足を気にかけないよう にさせてくれた。

フィニッシュ!

15キロの人たちと合流し始め、きっとあと少しなんだなと思った。だんだん足が棒になってくる中、なんとなく見慣れた感じの風景に なってくる。そうしているうちに、もうゴールがそこまで来ていることに気付いた。と同時に、足は疲れているけれど、もう走り終わって しまうのかと少しさみしい氣持ちになった。

ゴール手前では観客の応援が連なり、いつの間にか笑顔になっていた。フィニッシュゲートが見えると、一目散にダッシュした。 この氣持ち良さと喜びを表現するかのように笑顔でゴールすることができた。

賞金ゲット!

サイパンのときに私に勝ったライバルが今回走りに来ると伺っていたので、その人には負けまいと思っていた。そのライバルに勝てれば ある程度いい結果が出るだろうと予想していたが、やはりモットーは国内初トレイルで楽しもうと頭に置いていた。だから、終わってみれば 3位入賞していたことが嬉しかった。楽しんで結果がついてくる。それが私の理想のかたちだ。

しかもビックリなことに、今年から賞金が出たのだ。そこまでは予想もしていなかったので、思わぬサプライズプレゼントに興奮した。 ちょうど家賃を滞納していたので、これで足しになりすぐに払えると安堵感でいっぱいになった。と同時に、もっと頑張ってトップを取れば 良かったなと欲も出た。いや、でもこれくらいがちょうど良かったのだろう。ちょっとばかし神様がご褒美をくれたんだなって。

ケガをすることなく大好きな山走りができて、青梅の自然を満喫して自然のパワーを体いっぱいに浴びることができたことが、お金では変えら れない何よりも代え難い心の充実だったのだ。

KFCの方には、また楽しい想い出を心に残してくださったなぁと感謝した。心が沈んでしまうようなことがあった中でも、こうして大会 を朝早くから最後まで運営して参加者を楽しませてくださり、本当に感謝している。環境問題が叫ばれる今日、この青梅の素晴らしい自然 がいつまでもあり続けてくれることを願って、青梅をあとにした。

■‘my first trail-run‘ 遠藤香織(青梅市在住)

とっても楽しいトレイルランでした。なんでこんなことやってんだろ、と自問自答しながらそんな自分に酔いながら、楽しめました。

なんで山にいるんだろ?その答えは、「そこに山があるから」

ただ、その山は私一人の「もの」ではなく万人のもの。走る人もいれば「歩く人」もいるわけで独りよがりで楽しむわけにはいかないと 考えたりもしました。マイカー規制ならぬ、「ハイカー規制」も必要かも。

これからも自分なりの楽しみ方で走り続けます。ありがとうございます。

■初めての参加です。 橋順子(青梅市在住)

トレイルランと言う言葉は知っていましたが、マラソンよりチョット大変??くらいにしか正直思っていませんでした。 そんな超初心者の私が、友人に誘われ「ノリ」でエントリー・・・(さあどうしましょう・・・何から始めればいいのやら・・・)

まず、コースの下見がてら一人で山へ入ってみることにしました。早朝6時のハイキングコースは、人もいなく、白い霧に包まれひん やりとしていて神聖な雰囲気に少しドキドキしながら歩き出しました。次第に登っても登ってもずーっと続く登り坂に汗がふき出し「あり えない・・・ありえない・・」と呪文のように言いながら、想像を超えたハードさに、何度も心が折れました。

マラソンとは違い、キロ何分ペース、何キロ地点だとか無しの世界。聞こえてくるのは小鳥のさえずりと風が葉を揺らす音。 2時間以上動いているのに、時間の経過さえよくわからなくなってくる。空気がおいしい!落ち葉の上を走るのが心地いい!

結局20km近く走って下の駐車場へ戻ってきた時は、頭も身体もスッキリ。お山の自然が浄化・解毒してくれたんだと実感しました。 それからレースまで3回ほど15kmコースを試走し、当日を迎えました。

エアロビの3人のインストラクターのパワフルな姿にテンションが上がり、身体も温まりました。エアロビが準備体操って最高ですね。

緊張もなくスタートし、しばらくは順調でしたが、やはり登りはキツかった・・・途中でトップ選手の下ってくる野人の様な走りを近くで 見れたのには大感激でした。人間ってすごいぞ。折り返しの舗装路ではほとんど歩いて後ろの方にいましたが、後半の下りで少しスピード アップ。今までの中で一番いいタイムでゴール!

その後食べた手作りのすいとんがおいしかった。疲れた身体に最高でした。トレイルの魅力に気付いた貴重な1日になりました。 主催して下さったKFCの皆様や、それを支えて下さったボランティアの方々に感謝致します。来年も出ます!!

■高水山トレイルレース出場まで 池田美早(青梅市在住)

ちょうど2年前、夫が「山を走るからちょっと応援しに来てよ。」と言うものだから、その時の給水ポイントだった栗平に子供と 一緒に応援しに行きました。まぁまぁ!皆さん。すごい汗だくでこれだけもの大勢の人々が、しかもこんな山の中を走ってるよぉぉ 〜!!??「山は歩いて登るもの」そして「歩いて登るだけでフーフー息切れするのが山である」という発想しかなかった私にとって、 そのレースの様相はかなりの衝撃でもありました。

とはいえ、老若男女いろ〜んな方が走っていて、ルーズソックス履いてる女子高生 (の格好して?)まで走っているし、「まぁしかし、世の中には(うちの夫もそうだけど)モノ好きな人間がたくさんいるもんだなぁ !!」と半分スゲぇと驚嘆しつつも、半分呆れながら応援していた私でした。

それから10ヵ月後の2月。ママ友に誘われ、どういうわけか?!(笑)青梅マラソン(10キロの部)に出場することになったの です。タイムオーバーで失格だったものの、初めてのマラソンレースだったにもかかわらず、その場のノリと雰囲気で(なんと!)完走 できた、という達成感と、初めて体で「楽しい」という感覚を味わったのです。

次の年(今年)の青梅マラソンの練習に、自宅周辺をグル グル回ることに飽きてきて、ならば夫が走っているように私も「山に行ってみよう」と思い立ち永山丘陵へ。(思い立ったらすぐ行ける この立地環境!)しんどい登りは歩いて、下りになったら走ってみる、という超気ままな練習法で・・・と言うよりまさにハイキング気分 で週に2〜3度行きました。なにせ自宅から車で5分という利便性!1時間もあれば自宅から櫓台(スタート地点から往復5キロ)まで 行って帰ってくることができるようになりました。

そんな今年1月の夕暮れ時、櫓台からの帰り道に、登ってくる一人のダンディなおじさんと「こんにちは」と挨拶を交わしてすれ違 いました。ふと「…確かあの方は、例の山を走るレースの主催者、大西さんという方では??」と思いながら下山。

下山しながら、 呆れながら応援した2年前のレースの光景が甦り、「私もあんなふうに山を走ってみれるかな・・・?」と、自分の中に「トライしてみ よう」という気持ちがムクムクと沸いてきたのです。さっそく当日の子守りの段取りを姑にとりつけ、ママ友2名を誘って申し込み! 週末になると、子供の寝ている早朝から永山丘陵に出かけて、歩き走りして楽しんだのです。

そうして迎えたレース当日も、ママチャリで現地に行けるこの気軽さが嬉しかったですね〜。そんなワケでいつしか私も“モノ好き” の仲間入りしてしまいました!え?レースですか?タイムはさておき(笑)、楽しめましたよ〜!!KFCのスタッフの皆さま、そして 多くの地元ボランティアの皆さま、本当にありがとうございました。

■KFC徒然

今年はサイパンのマリアナ政府観光局からエド・デュアスが視察にやってきた。 昨年からサイパンの風光明美タポチョ山 (標高500m)をステージにした「マリアナ・コーヒー・トレイルラン大会」 を開催している。第4回大会からはコーヒー豆が赤く 色づく収穫時期に合わせて10月開催にし、距離も従来の20kmから30kmに延長した。マリアナ政府観光局も、今後、サイパンでも トレランレースをメジャーイベントにしようとしており、エドはそのための視察だ。

この際、参加して体験するのがベストということで、急きょ15km部へ出場させた。彼は学生時代からバスケットボールをやっており、 ミクロネシア地区でベストアスリートにも選ばれたことがあるくらいで、体力だけはある。日本の自然、コース、ランナーの多さ等々全て において強烈な印象で、楽しかったそうだ。翌日は筋肉痛で階段が下れなかったと嬉しそうに話してくれた。

トレランから話は逸れるが、サイパンが日本統治時代であった約60年前、そこに暮らしていた日本人がコーヒー豆を栽培していた。 太平洋戦争の敗戦で日本人が引き揚げた後、国連信託領を経て、アメリカ自治領となった現在まで、日本人が残したコーヒー木はジャングル の中で野生化し、ひっそりと生き延びていたのである。サイパンのジャングルにそんな歴史を持つコーヒー木があることはほとんど知られてい ない。だから当然、どんな観光ガイドブックにも載っていない。

こんな歴史を持つ南国サイパンのトレランに興味をもたれた人は、ぜひ、参加されては如何ですか。因みに、サイパンのジャングルには 危険な動物やヘビは生息していません。

大会の運営に関しては、年を追うごとに精度が上がっていると感じている。それはこの大会に携わる地域住民の皆さん、特に成木7・8丁目 地区の皆さんのサポート体制が確立されてきたからだ。毎年、何事もなく順調に行くことはない。何かハプニングが発生するものだ。今年は大会 日直前に強風が吹き荒れ、全コースに亘って、10か所ほどコースを塞ぐように杉の木が倒れた。このままだと川の流れを堰き止めるが如く、 選手の流れに渋滞が発生してしまう。杉の倒木は太い。チェーンソウがなければ、ノコギリでは間に合わない。地域の人に手伝ってもらい クリアすることができ、当日を迎えることができた。

しかし、何と言っても今年最大のハプニングは、私(大西)ごとですが、父親の死だ。準備に大忙しの大会前日(土)の正午ごろ、 実家である兵庫県の病院から「今、父親が息を引き取った。」と電話が入った。2か月前から看病に頻繁に帰っていたので、ある程度の覚悟は していたが、このタイミングは最悪だった。翌日の大会本番に抜ける訳にはいかない。葬儀を一日延ばしてもらうことにし、大会終了と同時に 実家へ帰ることで対応した。人生、何が起こるか分からないものだ。

【レポート・フォト】
【Special Thanks】

高水山常福院 成木7丁目自治会 成木8丁目白岩自治会 青梅山林災害対策協議会 東京都森林組合青梅事務所  青梅市観光協会 青梅市教育委員会 Lafuma  明治乳業(株)VAAM 佐藤スポーツ NATHAN  ルイガノ フィールズ

写真提供

舘岡正俊 鈴木裕二 西田光男 市川幸次 原広志 中村清隆 武智ユウマ 西沙織 宮本和之